本音しか通じない、大人は観察され試されている~特別支援学級の子供達
なんか、ぼんやりしてたら
ふと、思い出した。
何故か?
思いを綴っておかなきゃ
という気持ちになって文章を書く
縁があって、2年ほど特別支援学級の子達と関わった。
彼らとは、毎日といってよいほど、本気でぶつかっていた。
このクラスに在籍する子達は、公立学校の通常学級に籍を置き
子供の希望にもよるが
5教科(国語・理科・数学・英語・社会)や学活・自立支援授業を支援学級で受け
学校生活でのほぼ半分以上は、支援学級で過ごす。
(その子に合わせて、通常学級で過ごす時間も増やすことも可能。給食など)
軽度の知的障害、脳発達が通常の子よりも遅くれる。
通常の授業を受けても、小学生の基礎からの応用レベルを学習する中学校の勉強が難しかったりする。精神もある程まで度発達するが、集団や友達とのコミュニケーション能力が劣るためにトラブルも起こしやすい。
その為に、専門的学校や公立校にある特別支援教室での自立支援や学習を受けることになっている。
※私の解釈なので、人によって違うので参考程度で読んでください。
今となれば、特徴を書き出した言葉に納得いくのだが
私は、見た目も通常の子を変わらない、最低限のおしゃべり程度の会話も上手く出来る子達に、先入観を持って関わりたくなかったために特徴を調べることなく接した。
始めは、人に慣れるまでに時間がかかるようで
子供たちは、私の注意や指示に従うが、2週間経つと、段々と注意をきけなくなってきた。
学校という場から、こちらも間違ったことは言えない。
しかし、注意をきかず自分勝手になる子達をみていて、腹立たしくなり
注意する声も徐々に大きくなった。感情が表に出てしまっていた。
大人になって、こんなに感情を表にだして声を荒らげたことあるだろうか?
自身の子供にすら、そんな声を張り上げて感情的になったことはなかった。
何故?こんなに苛立つのだろう?始めの3か月ほど常に思っていた。
この子達と衝突を繰り返す、同じ過ちを繰り返す子達
私がしていることは、何か足りないような気がしていた。
ある日、毎度トラブルを起こす子が泣いた
泣くまで話を言い聞かせようと思い、ずっと粘っていた自分の作戦勝ちだと思った。
(一度、涙を流せば素直に言葉を引き出せると思っていたからだった…)
でも、それは違っていた
大人という立場から、子供達に対して上から決まりごとを押しつけるだけ
強い立場からの圧力。
その子の涙は、何度も理解されない自己肯定感の低さからだ
自身の話をきいてくれない大人へ対する悔しさからの涙でもあるようだ
そう、この子達は、通常の子よりも劣等感を常にもって生きている。
見た目では、何も障害を持ってるように見えない。発言の言葉も深く話さなければ変わっているとは気づかれない。
障害判定を受けるまでは、周りの子達と何一つ変わらないように育てられている。
私が始めに、先入観を持たないようにと思っていたのが
逆に、生まれた時は障害でないのに、成長するにつれて周りの子達と離された環境におかれていることを憐れんでいた。
泣かせるつもりでいたのが、泣かせてしまった
という申し訳ない気持ちになった。
これ以上、言葉をかけることはせず
ただ、そばに座り、気持ちが落ち着くまで待った。
それからは、憐れむのでなく
通常の子と同じように出来ないかもしれないけど
公立の学校に通っているのは
自立を目指し、一般集団の中で生きていける能力をもっているんだよ!
ということを伝え、そばに寄り添ってあげるようにした。
自然と私自身も、笑顔で挨拶から始り
一人一人の体の調子を聞いたり
私も子供のように、ちょっかいを出してみたり。
悔しい時や、悲しい時、嬉しい時など
一緒に泣いたり、笑ったりと喜怒哀楽を見せれるようになっていた。
この子達は、通常の子よりも勝って、素直な心を持っていたと知った。
そんな子達との別れは、どうしてか
さよならを言いたくないと思ってたら
体調を崩し離任式に出ることが出来なかった。
いまだ、顔を合わせて、さよならを言えていない。
もう少ししたら
子供達に、会いに行こうと思っています。
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